「戸越」の名は、古くは室町時代の文書にみられるほどの歴史があるのですが、その地名の由来は定かではありません。
一説には「江戸越え」が省略されたとするものがあります。その後近世を経て、明治時代には荏原郡戸越村として行政上も位置づけられ、戸越の地名は現在に至るまで地元に根付いて伝えられてきました。
しかしながら、東西に伸びる谷すじが道路として利用されるようになって人通りが次第に増しても、窪地としての土地形状が災いして、雨の後のぬかるみや大水にも悩まされ、大正末期に至るまで商業地としての発展は日の目を見ることがありませんでした。
そのような折りに大正12年9月1日関東大震災が発生し、東京都中央区の「銀座」は壊滅的な打撃を負ってしまいました。一方、戸越では周囲に竹藪が多かったせいもあって地盤が強く、被害が最小限で済んだために、この地に新規の商店街を作ろうという気運が高まってきました。ちょうど銀座が痛んだ道路をアスファルト化する塗装工事のために、それまでの舗道を撤去するという話を聞きつけた戸越の人々は、大八車で繰り返し往復して敷石を譲り受けました。
人々は道路に治水のための暗渠を作り、雨の後の車輪による轍が往来の妨げとならないように、銀座から譲り受けたレンガの敷石をひとつひとつ通りに並べていきました。
昭和2年7月の商店街の発足に当たっては、レンガと共に「銀座」の名称も譲り受けて、「戸越銀座」と名付けられました。
現在、「銀座」という名を冠する商店街が日本全国に約300以上あるといわれていますが、中央区の銀座に次ぎ銀座名を一番最初に持ったのは、私たちの戸越銀座商店街なのです。
当時使われたレンガは、現在も商店街事務所や街角に展示されています。
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