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震災復興の街 〜戸越銀座〜



みなさん、戸越銀座商店街ってご存知ですか?

テレビではよく「日本一長い商店街」
「●●銀座と呼ばれる商店街、第一号」などと紹介されます。
では、なぜ「銀座」と名付けられたのでしょう?

東京都民にとっては「関東大震災」という、
つらい記憶と密接に関わっているため、
バラエティ番組などではあまり触れられない
「戸越銀座」という名前の由来をご紹介します。

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かつて我々のご先祖様も、被災者でした。

大正12年9月1日に東京を襲った関東大震災。
それによって家を失ってしまった人たちが
新しい土地を求めてやって来たのが戸越だったのです。

しかし昔の戸越は、「蛇窪」と呼ばれ
蛇の出そうな湿地帯と悪口を言われるような
あまり住み心地の良い場所ではありませんでした。

そこで我々のご先祖様は考えました。
震災で崩れた銀座から、
不要になったレンガをもらい、道路を作ろうと。

当時、大八車を引いて
何度も往復しながら
みんなでレンガを運んだそうです。

こうして誕生したのが戸越銀座商店街です。

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つまり、邪魔になった瓦礫(がれき)をリサイクルして
新しい街を作りあげたのです。

まさに「戸越銀座」という地名には
震災の記憶だけではなく、
助けあいながら復興に汗を流した
ご先祖様たちの熱い思いが込められているのです。

日本は今、「関東大震災以来」と呼ばれる危機に立たされています。

しかし戸越銀座商店街は、かつてご先祖様がしたように、
誰かを助けることで自分たちも元気を取り戻せるような、
そんな前向きで素敵な方法を模索しています。

どうか皆さんもご協力ください。

※「ご先祖様」と呼ぶには失礼なくらい元気で、
 まだご存命の方もたくさんいらっしゃると思いますが、
 多くの人にわかりやすく昔話風に書きました。
 どうかご容赦ください。

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◆[昔話] 第3回 戸越銀座の由来
http://t-ginjiro.jugem.jp/?eid=42

当時のレンガは、東急池上線『戸越銀座駅』の改札を出て右側、
『100円ショップ・キャンドゥ』と『築地銀だこハイボール酒場』の間にある四つ角に展示されてます。

| 戸越銀座の昔話 | comments(154) | trackbacks(0) |
[昔話] 第3回 戸越銀座の由来

「戸越」の名は、古くは室町時代の文書にみられるほどの歴史があるのですが、その地名の由来は定かではありません。

 一説には「江戸越え」が省略されたとするものがあります。その後近世を経て、明治時代には荏原郡戸越村として行政上も位置づけられ、戸越の地名は現在に至るまで地元に根付いて伝えられてきました。
 しかしながら、東西に伸びる谷すじが道路として利用されるようになって人通りが次第に増しても、窪地としての土地形状が災いして、雨の後のぬかるみや大水にも悩まされ、大正末期に至るまで商業地としての発展は日の目を見ることがありませんでした。

 そのような折りに大正12年9月1日関東大震災が発生し、東京都中央区の「銀座」は壊滅的な打撃を負ってしまいました。一方、戸越では周囲に竹藪が多かったせいもあって地盤が強く、被害が最小限で済んだために、この地に新規の商店街を作ろうという気運が高まってきました。ちょうど銀座が痛んだ道路をアスファルト化する塗装工事のために、それまでの舗道を撤去するという話を聞きつけた戸越の人々は、大八車で繰り返し往復して敷石を譲り受けました。
 人々は道路に治水のための暗渠を作り、雨の後の車輪による轍が往来の妨げとならないように、銀座から譲り受けたレンガの敷石をひとつひとつ通りに並べていきました。

 昭和2年7月の商店街の発足に当たっては、レンガと共に「銀座」の名称も譲り受けて、「戸越銀座」と名付けられました。
 現在、「銀座」という名を冠する商店街が日本全国に約300以上あるといわれていますが、中央区の銀座に次ぎ銀座名を一番最初に持ったのは、私たちの戸越銀座商店街なのです。

 当時使われたレンガは、現在も商店街事務所や街角に展示されています。

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品川区のホームページ内にある「しながわWEB写真館」では、昔の写真を見ることができます。
また、『大崎一番ブログ』の昔話のコーナーにも、品川周辺の昔話が掲載されています。あわせてご覧下さい。

当ブログでは、みなさまの戸越銀座にまつわる思い出を募集しています。ぜひコメント欄かメールで教えてください。また、ブログやホームページを持っている方は、教えていただければリンクを貼らせていただきます。

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[昔話] 第2回 戸越公園
西品川在住・田中よしさん & 太田あきさん

 現在の戸越公園は、昔、三井の別邸でした。年に一度、桜の季節になると、三井の人たちが車を何台もつらねてやってきて、にぎやかにお花見をします。でも、ふだんは人気もなく淋しいところで、蛇は出るし、夜はちょっと怖かったですね。
 それが一般の人に解放されたのは、今から50何年か前(※昭和10年)のことです。広かった土地は分割されて、戸越公園、戸越小学校、三井文庫、三井農園となり、東側は分譲されました。その後、三井文庫あとは国文学研究資料館となり、三井農園のところは戦後大崎高校が移転してきました。
 それから、三井別邸にはりっぱな門がありました。その門は空襲のとき少しいたんでしまいましたが、一時大崎高校にもらわれていき、その後、さらに個人の別荘に移築されました。

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この昔話は、しながわ観光協会さんのご厚意により、大崎第二地域センターが発行している「ふれあい」から転載させていただきました。

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[昔話] 第1回 天然の氷もできました
西品川在住・田中よしさん & 太田あきさん

 昔、戸越銀座は水の豊かなところで、一年中冷たい清水が湧いていました。こんこんと湧いた清水があふれて崖下へ落ちて瀧をつくります。小さな滝ですが、これを利用した水車小屋もありました。あたりは雑木林・たんぼ・畑などの、のどかな田園風景です。にぎやかな商店街になった今では、ちょっと想像がつかないかもしれませんね。
 ところで、大東京信用組合のあたりでは天然の氷ができたんですよ。冬になるとレンガで作った升に冷たい清水を流しこみ、そこに寒い風が吹きつけると、カチンカチンの大きな氷のかたまりができます。そして春になるとお百姓さんたちが、この氷をノコギリで切って運んでいきます。冷凍用にでも使われたのでしょうか。おとなの人たちが威勢よく働く姿をながめていたものです。

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